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2004.11.28

草間彌生展

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東京国立近代美術館。
慣れとは恐ろしいものだ。
最初見たときは気色わるッって思ったけど、あちこちで目にする機会を得、
そして森美術館のクサマトリクスのときは、あんまり毒が感じられず、ちょっと物足りなかったりもした。
なんかこう、ゲロゲロゲロに圧倒してくるものを期待してしまっていたんだけど……。

その点、今回の回顧展は、絵画などの作品とインスタレーションがいい感じのバランスで、
奥へ奥へと進んでいくごとに異なる空間があらわれ、
まさに草間のうねうね宇宙(いや内臓かな)を探検しているような気分が味わえた。
いちばんゲロゲロできたのは、床に水を張り発光ダイオードがいくつもぶら下がった鏡の部屋かな。
ただでさえ平衡感覚がおかしくなる空間なのだが、入口で「周囲は水になっているので気をつけて下さい」と注意されるがために、
落ちてはイケナイという意識が高まり、よけいに目眩をおこしそうになる。
悪魔の囁きだぞ、あれは。
列ができていても、必見。

ゲロゲロついでに目黒の寄生虫博物館をハシゴ。
なにが驚いたって、他にも人が入っていたこと(笑)。
しかも売店があり、いろんなグッズが売っていて、店番がふたりもいたこと(笑)。
おそれいりました。

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2004.11.26

小耳メモ(思いついたままに)

No.19「特集・ドール」に人形作品の写真&詩をご寄稿いただいた槙宮サイさんが、誌面の予告通り、12/13〜18に銀座のGallery銀座一丁目で個展を開催。

No.21「少女×傍若無人」に記事掲載の珍しいキノコ舞踊団が、No.22「特集・異装」にレビューを掲載した森美術館「小沢剛:同時に答えろYESとNO!」展のクロージングイベントに登場(12/4)。

No.21「少女×傍若無人」に記事掲載の毛皮族が、東京・新宿のスペースゼロでロックンロールミュージカル,キル!キル!「お化けが出るぞ!!」を公演(12/1〜8)。

■講談社から出てる大泉りかの「ファック・ミー・テンダー」の表紙は、No.19「特集・ドール」No.21「少女×傍若無人」で取り上げたトレヴァー・ブラウンでしたね。

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2004.11.25

マティス展

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国立西洋美術館。休日の昼下がり上野に来て美術館の前の人だかりを見ると、よくこれだけの人が集まってくるものだといつも不思議に思うというか感心するというか。
その昔、上野から池袋にあったセゾン美術館に回って人出の落差に唖然としたことがあるが、いま現代美術展の人集めに関しては森美術館ががんばっているからね……目的が展望台であっても、ここはヨシとしておこう(本当の美術ファンが近寄り難くなってしまわないよう願うけど)。

さて、ようやくマティスに行ってきた。マティスはある意味天才かもしれないが、逆に天才であるフリをしない。
いつも迷っているがそれを隠すことがなく、こんなのチョチョイのチョイだよ、なんて自慢げに鼻を高くすることなんてしない。
切り絵だって、寄席とかの芸なら、ツギハギなんてしたら客から、「そんなの芸じゃない、素人め」って怒られるかもしれないが、マティスは平気でツギハギする。
だから切り絵も、小さなポストカードだと美しく見えるかもしれないけど、実物は切れ目もギザギザだし、細部を見るとちっとも美しくない。
それはまるでマンガ家の原画みたいだが(マンガは原画が汚くても縮小されて印刷されたものがキレイに見えればそれでよいのだ)、もしかしたらマティスは複写されて印刷されることを前提にして描いていたのではないかとさえ勘ぐりたくもなる。
油絵の作品だって、ハッキリした色使いとフデのタッチの希薄さゆえに、印刷されても元の絵とは遜色のないものに仕上がりそうだ。
もちろんカタログを見ると、ああやっぱり元の作品とは全然違うなぁと思うのだけれど、額に入れられた複製画などは、こっちの方がいい色じゃんとか思ってしまったりもするのでした。

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2004.11.19

ラリー・クラーク展「パンクピカソ」

於:ワタリウム
アメリカの大統領選の何が気味悪いって、善良さ100%を装おうとする候補者の笑顔でありパフォーマンスだろう。
悪の部分などまったくないように装い、またそれを信じて(たぶん)熱狂的な声援を贈る支持者達もさらに気色悪い。
いやもちろん、善や悪やらというのは時代や地域によって流動する、気紛れで、ある意味個々の妄想による価値基準でしかなく、彼らは何をやっても自分は善だと思っているのかもしれないのだから始末が悪いというか……。
私は100%善人なんていないと思っている。
善も時と場合によっては悪にもなりうる——本人が善のつもりでやったことでも他人にとっては悪になる可能性は十分にあるからだ。

アメリカは、そうした価値基準を認めずに、この世は善でできていると信じ込むところがあるのだろうか。
スイス生まれの写真家ロバート・フランクが、1958年に「アメリカ人」という写真集を出版したとき、その内容はアメリカ人には歓迎されなかったと言われている。
外からの視線でアメリカの暗部をさらけ出していたからである。

そしてラリー・クラーク。
彼が写真集「タルサ」を出したときも衝撃を与えたという。
理由はまさに同じ。アメリカにおいてあってはならないシーンがそこにはあった。
アメリカはディズニーランドじゃないということを見せつけていたのだ。

しかもそこにあるのは「郊外」の歪み、狂気である。
都市の頽廃とは違い、情報量が乏しいために保守的で視野が狭いからよけいに始末が悪い(と決めつけるのはよくないけど、大統領選の結果は見ての通りで、ブッシュに投票した人間でパスポートを持たない人の比率がとても高かったという話もあった)。
こうした郊外の狂気は日本でもしばしば題材にされて、たとえばD{di:}の「キぐるみ」なんかもそうだった(「キぐるみ」に関しては「特集・異装」で書きました)。
だがアメリカの郊外はもっとスケールが大きく、というか、アメリカ自体、ヨーロッパの郊外として、ヨーロッパに対するニュータウンとして出発したことを考えると、世界は「郊外」の力によって牛耳られていると言えなくもない……。

てなことを考えながら、ちょっとブルッと身震いした展覧会なのでした。

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2004.11.15

渋谷区立松濤美術館・安井仲治展

 日本における写真のパイオニア的存在の回顧展。ロドチェンコ風あり、マン・レイ風あり、モホリ=ナギ風あり、さらにドキュメンタリー的なものから抽象的なものまでと、言ってしまえば節操がなくて思わず笑えてしまえるのだが、写真という表現の可能性がさまざまに広がっていた時代の幸福をそこに感じることができる。対象物を抽象的なモノの形に落とし込もうとする視線は、やはり構成主義などの影響なのだろう。とても力強くて印象的だった。

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2004.11.10

庭劇団ペニノ「黒いOL」

 OL、つまりオフィスレディの話である。だからその場所もオフィスのはずである。だが、ステージは土。かなり奥行きがあり、中央の溝には水がたまっている。頽廃的な雰囲気。無益な労働。監禁場所のような閉塞感。蝋燭の火、水の音、煙草の煙、黒い制服らしきものを着たOLたちは水の上を歩き泥にまみれ、喋り、洗う。
 このシュールな風景、閉ざされた世界の悪夢のような感触は、遠い昔に出会ったような気がする。が、それが何なのかは思い出せない。意味のないことを労働として繰り返す不条理な世界……封印していた感情を掘り返された気分だ。
 もちろん物語らしきものはなく、種明かしもなく、舞台は終わる。イメージは放り出されたまま。それをどう繕うかは観る側に委ねられる。
 会場となったのは、新宿高層ビル街に隣接する空き地のテント。土や水や火をこれだけ利用できたのも、テントならではだろう。そしてなによりも、終演後、観客達はステージを通ってテントから外に出るという演出。客席からは暗くて、しかも奥行きが深いためによくわからなかった舞台装置をインスタレーションとして観賞しながら歩く。テントから出ると、急で段差のある、壊れそうな階段。外の空き地にも舞台を作った残骸のようなものが散乱する……ふつう、観客を帰す道なら、ケガをしないよう整備するものだろう。もちろん、階段は急なのでという案内はあったが、あえて観客に安全をサービスしないことで、舞台の頽廃世界を身体で体験させられているような気がした。もしそこまで計算されているなら、すごい。
 ある意味かなり衝撃的な舞台だった。次も観てみたい。

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