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2004.11.19

ラリー・クラーク展「パンクピカソ」

於:ワタリウム
アメリカの大統領選の何が気味悪いって、善良さ100%を装おうとする候補者の笑顔でありパフォーマンスだろう。
悪の部分などまったくないように装い、またそれを信じて(たぶん)熱狂的な声援を贈る支持者達もさらに気色悪い。
いやもちろん、善や悪やらというのは時代や地域によって流動する、気紛れで、ある意味個々の妄想による価値基準でしかなく、彼らは何をやっても自分は善だと思っているのかもしれないのだから始末が悪いというか……。
私は100%善人なんていないと思っている。
善も時と場合によっては悪にもなりうる——本人が善のつもりでやったことでも他人にとっては悪になる可能性は十分にあるからだ。

アメリカは、そうした価値基準を認めずに、この世は善でできていると信じ込むところがあるのだろうか。
スイス生まれの写真家ロバート・フランクが、1958年に「アメリカ人」という写真集を出版したとき、その内容はアメリカ人には歓迎されなかったと言われている。
外からの視線でアメリカの暗部をさらけ出していたからである。

そしてラリー・クラーク。
彼が写真集「タルサ」を出したときも衝撃を与えたという。
理由はまさに同じ。アメリカにおいてあってはならないシーンがそこにはあった。
アメリカはディズニーランドじゃないということを見せつけていたのだ。

しかもそこにあるのは「郊外」の歪み、狂気である。
都市の頽廃とは違い、情報量が乏しいために保守的で視野が狭いからよけいに始末が悪い(と決めつけるのはよくないけど、大統領選の結果は見ての通りで、ブッシュに投票した人間でパスポートを持たない人の比率がとても高かったという話もあった)。
こうした郊外の狂気は日本でもしばしば題材にされて、たとえばD{di:}の「キぐるみ」なんかもそうだった(「キぐるみ」に関しては「特集・異装」で書きました)。
だがアメリカの郊外はもっとスケールが大きく、というか、アメリカ自体、ヨーロッパの郊外として、ヨーロッパに対するニュータウンとして出発したことを考えると、世界は「郊外」の力によって牛耳られていると言えなくもない……。

てなことを考えながら、ちょっとブルッと身震いした展覧会なのでした。

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