自伝の小説by李昂
10月に出た李昂の「自伝の小説」をようやく読了。
もともと本を読むのが遅いからだが、でもつまんないとか難しいとかで時間がかかったのではなく、最後の4分の1くらいはほとんど1日で読んだ。
これは、面白い。
「自伝」と「小説」という矛盾する言葉が同居し、しかも原題からして日本語の「の」が使われているというタイトルの仕掛け(原題は「自傳の小説」)からしてタダゴトではない内容を予感させるのは、No.20「中華モード」で上野千鶴子氏が指摘したとおり。
謝雪紅という実在の台湾の革命家の伝記と、その物語を伯父から伝え聞く「わたし」という語り手の立場・状況がシンクロし、また、台湾・日本・中国・ソ連を渡り歩く謝雪紅の足取りのために、物語は時空を超えて多層的に交錯する(ということも「中華モード」で藤井省三氏が言及しているとおり)
だがこの小説は、頭が混乱してくるような小難しい小説ではない。
その複雑な構造を、寓話的なユーモアで、さらりと読ませてしまう。
そう、これはいわば、ワイドショーだ。
政治の物語を「性」治の物語に置き換え、ワイドショーを見るような、下劣で、だけどおそらく根源的な好奇心を刺激する。
セックスや月経などの執拗な性的描写(だけどポルノとはちがう)や語り伝えられる伝説の数々など、生理的な欲求・恐怖に根ざしたもので物語は彩られ、人間は結局のところ、そうした動物的エネルギーに動かされているものであることが強調される。
それを私小説的な小さな世界で語るのではなく、かつての台湾最大の左翼党派のリーダーを主役にすることによって、スケールの大きな物語に仕立て上げる。
そこが李昂の妙味だろう。
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