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2004.12.27

増山麗奈/府中ビエンナーレ

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お告げと言えば、そうなのだろうか?
なぜか今日は府中に行こうと思った。
昨日は仕事で、今日も夕方得意先に行く予定があったのだが、その前に府中を往復することは不可能じゃないかも、とか思ってしまったのだ。
府中市美術館の第2回府中ビエンナーレである。
“府中”ビエンナーレとは言っても府中のアーティストに限ったものではない。
約半数は府中・多摩地区にゆかりのあるアーティストを選定しているとはいうものの、
40歳以下限定という若々しい力を体感できる企画として第1回も好感を持てた。
だから、この2回目もいつかは行こうと思っていたのである。

だが、よりによって思い立ったのが今日。
新宿に着いてみればちょうど京王線準特急が待っており、美術館にはいつも府中駅から100円バスに乗るのだが、30分に1本のそのバスの時間にはちょうど間に合わないなぁ……と思っていたら、今日は競馬開催日で東府中駅に臨時停車するという。東府中からなら歩いて15分ほどなので、歩くことにした。
美術館に着いたのが、14時。
ふらふらと展示スペースに入っていくと、そこには椅子が並んでいて、間もなく“トーク”イベントが始まるという——。

こうして、反戦運動体(?)の「桃色ゲリラ+」のパフォーマンスを図らずも(?)見ることになってしまった。
(いや、本当は府中ビエンナーレをチェックしたときに気にはかかっていたのだが、すっかり忘れてしまっていたのだった……)

果たしてそれは、お粗末な進行、お粗末な内容……と言ってまぁ間違いはないと思うのだが、
「プチ拷問トーク」と称されたそれは、セーラー服を着た少女やバニーガール風の扮装をしたトランスベスタイトなどが登場し、“拷問”を受けながら今年を振り返ってトークをおこなうというもの。
足を氷水に浸したり、思いものを持たされたり、くすぐられたり、髪を切られたりしながら、社会問題について、悶え苦しみながら喋る。
はっきり言って、それは、三流の学芸会以下のおふざけでしかないとも言える。
だが、「青年の主張」的なものや反戦運動とかに対する白々しい冷めた視線を、どう惹きつけどうやって目や耳を向けさせるか、という問題意識がその背後にあることは評価されるべきだろう。
三流が二流、一流になったからといって、みんなの目や耳が開くわけではない、ということもあるしね。
桃色ゲリラ+代表であり、このビエンナーレに作品を出品している増山麗奈はそのあたりをきちんと戦略として目論んでいるようだ。

さてところで、事件はその増山麗奈が“拷問”トークを始めたときに起きた。
彼女に対する拷問は、ピンクローターを恥部に入れ、そのうえバイブで胸などを刺激されるというもの。
「18歳未満の人はご遠慮下さい」のアナウンスのもとで始められたが、やがて美術館の学芸員から「待った」が入った。
子供なども入ってくる公共の場にふさわしくない、そのようなことをやるとは聞いていない、という理由。
結果から言うと、その待ったを遮るようにして、増山はなぜこのようなことをやっているか、とうとうと主張を述べ、結果的にパフォーマンスを完了した。
学芸員のおかげで、増山の主張が明確に観る者に、よりはっきりと伝わったのではないかとさえ思う。

こういう場面では学芸員が悪者にされがちだが、パフォーマンスを中断されないために「みんなも応援してくれ」と叫ぶのも、それに拍手してしまうのも、どうも違うような気がする。
応援すべきなのは主張の中身であって、バイブを使うことではないし、18歳未満お断りにして観る者を選別する理由がわからない。
そのあたりは、パフォーマンスした側にも意見があったらしく、終了後、片づけをしながら議論をしているのが少し耳に入った。
(ある子は、最後のあいさつで、増山はブッシュを批判しておきながら自分がブッシュのようだ、と評したが、それも考えさせられる言葉だった)

ただ、パフォーマンスはおいとくとしても、パフォーマンスの前、会場に入って増山の絵を見て、私は結構グッとくるものがあった。
作品の中央に楽天のロゴが貼ってあったり、モー娘(はやめたんだっけな)の加護をモチーフに使った作品を作ったりと、ポップでありながら、フラットではない破壊力も感じさせる。
(ちなみにホームページに載っている絵より展示されていたものの方が全然いい)
反戦をモチーフにしていても、パフォーマンスもそうだが、きれいにまとめられるよりは、増山の泥臭さの方に、私はどちらかというと好感が持てる。
パフォーマンスに一考の余地ありとしても、そうした行動を起こすことで議論がおき、人の興味がわきあがるのはいいことだ。

今日の遭遇は幸運だった。
桃色ゲリラ+に終始してしまったが、府中ビエンナーレには増山のほかにも興味深い作品が集まっている。2月27日まで。

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2004.12.23

アーキラボ

年も暮れの暮れになってかなりどったんばったん忙しくなってしまった。年明けは死にそうである……。
サーバーの移転を予定しているのに、、、。

さて建築の展覧会である。
建築の展覧会というと、もちろん実物を持ち込むことはできないので、模型とかデッサンとか、そういうのがおのずと中心になる。
だが、建築の専門家ではなく、構造がどうのとかにあまり興味がないというか、よくわかっていない者にとっては、よっぽど突飛なものでないと模型とかは退屈なものでしかなかったりするんだよね(私の場合)。
その点、過去に観た中では、東京オペラシティアートギャラリーでのジャン・ヌーベル展や、安藤忠雄が会場構成をした東京都現代美術館のルイス・バラカン展などは、実物の醍醐味を体感できるような斬新な工夫が施された面白いものだった。

で、今週始まった森美術館の「アーキラボ」も、作家の個展ではないのでヌーベルやバラカンのときのような非常に斬新な試みが見られるわけではないが、それでも広いスペースを有効に使った変化の富んだ展示で楽しめた。

いや、正直なところ、あんまり期待してはいなかったんだけどね。
でも、言えることは、たとえ模型であっても、面白いのは面白いってことかな。
50年代以降の建築をコレクションしているが、50〜60年代のユートピア幻想に彩られたものたちが新鮮な驚きを与えるし、80年代の脱構築ものに懐かしさを感じてしまうのは……うーん、時代は変わったってことなのかなぁ……。
いまはもう、人を圧倒するものを「建てる」時代ではないでしょ、という気がちょこっとしていて、その点、やはり安藤忠雄などをリスペクトしてしまうのだけれど、そうした部分があまり感じられなかったような気はする。が、面白かったですよ。

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2004.12.15

上田風子

シュールさと、かわいらしさと、郷愁と、無垢なエロスと……。
上田風子の宇宙は、不思議な非現実感をたたえている。
背景が省略され、夢の世界を浮遊しているかのような非現実感。
そして幻想的なシチュエーション。
とりわけ、影の部分に使う青い色が好きだ。
顔の半分、スカートの中……それらの青い影の部分が、まるで別の宇宙への入口であるかのようにも思える。
銀座のスパンアートギャラリーにて。25日(土)まで。

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SILENCE STORY

「お人形さんみたい」なんて言われる人間は、たいていの場合かわいくて美しいものなのだが
私にとって創作人形の魅力は、かわいくないところ、どこか病んでいるところにある。
造物主(つまり作家)の手の感触が伝わってくるのもいい。(量産品の人形にはそれがない)
そしてその人形たちは、観る者の目を射て甘い誘惑を投げかける……。
「特集・ドール」にも登場していただいた槙宮サイ氏の個展が、Gallery銀座一丁目で開かれている。
やっぱり人形は面白いなぁと思う。
ギャラリーの入っている相当古くて有名なビルがまた、妖しい人形世界の入口にふさわしい。
18日(土)まで。

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2004.12.14

王寧徳

久しぶりに、強烈に心揺さぶられる写真。
家族の記念写真のようで、スナップ写真のようで、観光写真のようで、だが、そこに写っている人間はみな、目をつぶってうつむいている。
寝ているのではない。けだるい夢想の世界に遊んでいるのだ。
ここからはリアルが剥奪されている。
王寧徳、この名前は覚えておこうと思う。
銀座のガーディアン・ガーデンの中国若手写真家4人展「どこへ向かうのか?天人合一!」にて。12/24まで。

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星を眺める人

SMチックなヌードや人形写真を撮る幻想写真家・堀江ケニーが渡辺孝志の彫刻作品を撮った展覧会。
静けさと透明感、同時に緊張感のある澄んだ写真は、その静けさの中からかすかな波の音や空気の震えが聞こえてきそう。
18日まで、ギャラリーコンシール渋谷で。

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2004.12.03

毛皮族「お化けが出るぞ」

毛皮族・ロックンロールミュージカル,キル!キル!「お化けが出るぞ!!」。
東京・新宿のスペースゼロ。

広くてきれいな会場に、ちゃんとしたセット……会場が広いだけに、客席と舞台との臨場感や一体感はどうなるのだろう……と思っていたら……ん〜やっぱり結構すべってました。
しょっぱなからおっぱいぽろりのエロエロさ加減だい、20余人のミュージカルシーンは圧巻だが、
ただ歌って踊っているだけでギャグや毒に乏しい感じがして、ちょっと物足りない印象。

役者は面白いのがそろっているし、セットも効果的だったと思う。
だけど、もっとハチャメチャでもっと破壊力があってもっとパラノイアでもっと毒のある舞台を期待していた……と言ってしまいたくなるのはわがままなんだろうか。
いや、私の感覚がマヒしているだけなのかも、という気もするけど。
でも2時間30分が長く感じなかったのは確か。
それだけのパワーは堪能した。

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2004.12.01

JTBカード会員誌で紹介

No.20「中華モード」がJTBカード会員誌(12月号)で紹介されました。
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自伝の小説by李昂

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10月に出た李昂の「自伝の小説」をようやく読了。
もともと本を読むのが遅いからだが、でもつまんないとか難しいとかで時間がかかったのではなく、最後の4分の1くらいはほとんど1日で読んだ。

これは、面白い。
「自伝」と「小説」という矛盾する言葉が同居し、しかも原題からして日本語の「の」が使われているというタイトルの仕掛け(原題は「自傳の小説」)からしてタダゴトではない内容を予感させるのは、No.20「中華モード」で上野千鶴子氏が指摘したとおり。
謝雪紅という実在の台湾の革命家の伝記と、その物語を伯父から伝え聞く「わたし」という語り手の立場・状況がシンクロし、また、台湾・日本・中国・ソ連を渡り歩く謝雪紅の足取りのために、物語は時空を超えて多層的に交錯する(ということも「中華モード」で藤井省三氏が言及しているとおり)

だがこの小説は、頭が混乱してくるような小難しい小説ではない。
その複雑な構造を、寓話的なユーモアで、さらりと読ませてしまう。
そう、これはいわば、ワイドショーだ。
政治の物語を「性」治の物語に置き換え、ワイドショーを見るような、下劣で、だけどおそらく根源的な好奇心を刺激する。
セックスや月経などの執拗な性的描写(だけどポルノとはちがう)や語り伝えられる伝説の数々など、生理的な欲求・恐怖に根ざしたもので物語は彩られ、人間は結局のところ、そうした動物的エネルギーに動かされているものであることが強調される。
それを私小説的な小さな世界で語るのではなく、かつての台湾最大の左翼党派のリーダーを主役にすることによって、スケールの大きな物語に仕立て上げる。
そこが李昂の妙味だろう。

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