バ ング ントby飴屋法水+大友良英+椹木野衣
白白白白い空間。壁に文字文字だけどところどころが欠けている。文字が抜け落ちて白いままになっている。それを読むためには、欠けた文字を自分の頭の中で補わなければならない。文字を探す。合う文字を。そして文章を完成させようとする。
白く均質な空間は遠近感を失わせ過去と未来を失わせ、つまり時間と距離を喪失させる。われわれはまず、過去を捨て社会を捨て、白く濁った何かになる。
12日は、ライブの日。
空間のあちこちに気紛れな奏者が現れ、静かにかすかなノイズを奏でる。アルミホイル。カセットテープ。レコードプレイヤー。かすかな声。電子の震え。麻雀牌のリズム。
すべてはかすかに。過去を捨て社会を捨て、白く濁った何かになった私たちへの葬送曲。混濁をかすかに震わせ目覚めさせる、かすかな本当にかすかなノイズ。
観る者は、ドリンクを片手に奏者の間を彷徨い、時に無表情に押し黙ったまま佇み、もしくは腰掛け、または床に座り、ノイズに耳を傾ける。
彷徨う観る者たちの動きが、まるでこのエントロピー空間を行き交う気紛れで気だるい分子のようにも見える。
白白白白い空間。
入口の脇には証明写真の装置。だけど顔は写らない。顔はボカされ、そこに写っている者が何者なのかわからない。証明にならない証明写真。
そこに写っているのはだれ?
そう、われわれは欠けている。欠けているものを追い求めている。ヘッドホンを付け、壁の文字の、欠けた部分に空いた穴を指で塞ぐと、ノイズが聞こえる。いろいろなノイズ。ふたつの穴を塞げば、ノイズは重なりあう。
そう、欠けたものは、何でもない。意味などない。それはノイズでしかない。欠けたものを求めることにどんな意味があるのか。
むしろ欠けることが、欠けて欠けてやがてすべてが欠けて真っ白になることこそわれわれが追い求めるべきものなのではないか——。
入口の正面には大きな白い箱。その中には、会期中、言葉をなくしてひとり閉じこもっている飴屋法水。
白い空間にひとり。ずっとひとり。
その白い箱には何も文字は書かれない。
すべてが欠けた。すべてが真っ白になった。そして透明な存在になった飴屋法水。
われわれもさて、欠けていくことをヨシとしよう……。
その先に訪れるのはおそらく、真っ白な心の廃墟だ……。
六本木・P-Houseにて。8/21まで。
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