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2005.09.27

ローリー・アンダーソン@ICC

会期終わり間近になって、滑り込み。
彼女のアートは、テクノロジーの可能性と戯れていただけに、
いまから振り返るとなんてこともないものも多く、もの悲しさを感じてしまう。
(いやもちろん、当時としてはたいへんな努力をして作り上げたのかもしれないが)
そこから導き出されるメッセージも、強烈なコンプレックスや
悪辣な皮肉が塗り込められているわけではなく、概して凡庸だ。
だけど、そこに漂うそこはかとない孤独感に、なんとなく惹き付けられる。
ローリー・アンダーソンには、こういうテクノロジーの文脈ではなくて、
違った評価のしかたもあっていいと思わないでもない。
10/2まで。ICC.。

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コメント

ローリー・アンダーソンとICCで検索していてきました。

確かにローリー・アンダーソンはメディア・アーティストと呼ばわれることが
多かったのですが、彼女の作品を知る限りテクノロジー云々が彼女の
考え方の中枢にあったことはなく、私からするとテクノロジーと彼女の
関係はとてもドライなものであるように感じます。

また、これは他のいわゆる歴代メディア・アーティストと呼ばれる作家にも
当てはまる気がしますが、美術メディア側の捉え方として、こうした作家を
その時々の表現手段によって分けるというあり方は、手段を選べる現代の
作家を、とりもなおさず「油絵、日本画、彫刻、・・・」というような枠組みで
とらえるような違和感を感じます。

実は今日、最終日に展覧会に行こうと思っていますが、もし今回の展覧会が
そうした「過去」を引き合いに出そうとしているものなのであれば(回顧展、
というのもそうした意味合いでしょうか、)、それはあまり見る価値のないもの
なのかもしれません。

投稿: kw | 2005.10.02 10:12

テクノロジーをどう使った、というのが評価される時代は終わりましたね。
過去のメディアアートも、違う文脈で評価できるものだけが生き残れる。
次にICCでやるのはまさにアートとテクノロジー展ですが
どのようなメディアアートがどれくらい生き残れるものか
ちょうどいい見本市なのかもしれません。

投稿: 沙月樹京 | 2005.10.04 23:14

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