« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »

2005.10.18

タナトス6にて、玉野黄市他公演+ロシア・ドイツ舞踏ツアー帰国報告会緊急開催

thana_chira_for051023s10/23(日)、タナトス6にて
「玉野黄市他パフォーマンス+ロシア・ドイツ舞踏ツアー帰国報告会」が
緊急開催されることになりました。

カリフォルニアに本拠地を置く玉野黄市のパフォーマンスと
アスベスト館の玉野黄市はじめ日本の舞踏家、音楽家たちが
舞踏スピリッツあふれるロシアのカンパニーとジョイントし
ロシア・ドイツを回った舞踏ツアーのお土産話を披露します。

詳しくは[こちら]


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.10.16

ダイトウノウケン写真展@美蕾樹

ダイトウノウケン写真展「春骨 Blood & Bone」。

土方巽の舞踏の精神の継承に大きな役割を果たしてきたアスベスト館。
競売による立ち退きという不運に見舞われ、2003年に閉館。いまはもうない。
しかしその騒動の渦中、ダイトウノウケン氏がアスベスト館の現状を広く訴えるために開いた写真展がこの「春骨」の契機となる。
その写真展は館長でもあった元藤あき子氏を撮ったものだったが、ダイトウノウケン氏は今度は「妖怪」というモチーフを元藤氏やアスベスト館の若い舞踏家たちに演じさせることを思いつく。
曰く、
「季節は桜のころ、山寺に現れる妖精たちとその子を食しては再生を果たす妖怪の物語です。
古来からの妖怪をモチーフに、登場人物には元藤あき子(がごぜ)、特別出演大野一雄(ぬらりひょん)、
井関結美子(うぶめ)、入月絢(かまいたち)、山本さや香(やまんば)
等他が登場します」

しかしそれにしても、なんて色彩豊かであっけらかんとした妖怪たちだろう!
妖怪というのは、暗闇の中にひっそり息をひそめているような、おどろおどろしい存在ではなかったか。
それが白日の元にしゃしゃり出て、なんとも楽しげにはしゃぎ回っていたりするのである。

もちろん、白塗りのその姿は、ふつうの人が見れば十分に異様だろう。
それだけで「妖怪のようだ」ということもできるかもしれないが、
しかしそれ以上に「妖怪的」なのは、カメラがちゃんと被写体をとらえられていない、ということだ。
いやもちろん、それは写真のテクニックの問題ではない。
背景も光も何もかも設定して、ポーズを決めてシャッターを押す、という類の写真では全然ないのだ。
妖怪たちは逃げる逃げる逃げる。カメラはそれを必死に追おうとするが、妖怪があまりにもすばしっこいがゆえに、ピントはぶれるし足しか映っていなかったりする——そんな状況を想像させるような写真なのだ。
カメラをあざ笑う妖怪の声が聞こえてきそうである。

おそらくそれが意図なのだろう。
まったくその妖怪たちはお茶目でかわいらしい。
ポーズや色や光が、舞踏というものの固定観念を払拭しているといえるし、
逆に、ひとつのポーズに還元されないとらえどころのなさや、「妖怪」という日本人の原風景との共鳴に舞踏の本質が塗り込められているとも言えるかもしれない。

会期中はさまざまな舞踏講演も企画されている。
23日まで。[詳しくはこちら]

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.10.03

上田風子@好古堂

水道橋・神保町のギャラリー&バーの「好古堂」にて。(雰囲気のいいとこです)
新作として、倉橋由美子の小説へのオマージュ作品が展示されています。
不思議な少女たちの宇宙をご覧あれ。
[上田風子HP][上田氏の作品はTH No.23で取り上げさせていただいてます]

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.10.02

やなぎみわ@原美術館

yanagi_haraこの個展のタイトルは「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」。
ガルシア=マルケスの「エレンディラ」のもともとの題をもじったものだが、それは単なるモチーフにとどまらない。
ガルシア=マルケスの小説は“魔術的リアリズム”とも称されて、物語の中にしばしば突飛な現実離れしたエピソードが紛れ込む。
西欧の常識とは違い、だけど南米ではそれが「現実」だというその展開に、われわれは幻惑され眩暈を覚えたものだ。
そして、今回のやなぎの最新シリーズ「寓話」も同じようなマジックで満たされいた。
単なる戯れでガルシア=マルケスが引用されていたわけではない。
しかも「少女」というものをめぐって、日本で、いや世界でこのマジックを操れるのは、おそらくやなぎ以外にはいないだろう。

写真に写し出されているのは、「エレンディラ」の他は、「白雪姫」や「赤ずきん」などよく知られた童話の一場面だったりする。
だがそれを演じているのは、少女と、醜い老婆のマスクをした少女である。

やなぎは「My Groundmothers」のシリーズでも若い女性に特殊メイクを施し老婆を作り上げた。
しかし「寓話」で老婆を演じる少女は、もっと年齢が下のまさに「少女」であり、しかもマスクをした顔以外の手足は無垢な少女のままである。
「老婆」の中の少女性、「少女」の中の老婆性がひとつの身体に二重露光され、そこに演出されるシーンの生々しいグロテスクさの中から、非常に艶めかしいエロティシズムが立ちのぼる。

「少女」と「老婆」の二重露光ということに関しては、高野文子の1980年の短編マンガ「田辺のつる」(『絶対安全カミソリ』白泉社=所収)がとりわけよく知られている。
しかし高野が描いた「少女」はエロティシズムとは無縁なイノセンスを表象していたのに対し、やなぎは「老婆」に「少女」を覗かせることによって、とても挑発的なエロスを生み出させた。
そして逆の見方をすれば、「少女」に「老婆」を装わせることによって、「少女」を「かわいさ」の呪縛から解き放った。
やなぎの作品「マッチ売りの少女」では、老婆のマスクをした少女が、雪の中、路面に座って、邪悪な表情でマッチの炎を見つめている。
本当なら、かわいい少女が寒い雪の中マッチを売る——というけなげさが同情を誘うのだろうが、やなぎは「かわいい少女」の部分をばっさりと切り捨てる。
そして見る者は、その憎々しい顔が持つ、瑞々しく艶やかな手足に奇妙な誘惑を覚えざるを得ないだろう。

それはたぶん、死姦の誘惑にも似ている。
やなぎの初期の作品に「エレベータガール」のシリーズがあるが、そのパノラマに放置された数多の女性たちは、まるで魂の脱け殻だった。
今回の「寓話」のシリーズにおいても、少女に「老婆」のマスクをかぶせることによって、少女から魂を抜き去ろうとしたかのように見える。
その肢体は、まさに血の通っていない人形の手足ではないか?

上半身をテントで覆い、老婆のようにシワだらけの手または足を見せる少女が誘惑するものもおなじものだ。

無意識のうちに目を背けてしまう「老い」。
そこにこのようなエロスを見てしまうとは、驚きである。
やなぎの冷徹な視線はますます鋭いものになっている。

11/6まで、原美術館にて。[やなぎみわHP]

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.10.01

フェア in NADiff×10(東京都写真美術館)

恵比寿ガーデンプレイスが出来る前、その近くに東京都写真美術館が仮オープンしたときは、果敢な企画が目白押しで、心躍らせてよく足を運んだものだった。
それが、ガーデンプレイス内に本オープンしたとたんに、お財布が乏しくなっていってしまったのか、見たい企画が減ってしまい、ああ、あのころよもう一度…とずっと思い続けていた。
で、久々に心躍らせる企画が10月からお目見えする。
コンテンポラリー・ダンス&ローザスの2本立てである。
まぁ、どれくらい新鮮味があるかというと、まあね、というところもあるのだが、見てないうちにどうこう言うのは控えよう。
仮オープンだったときは、「写真」を拡大解釈して非常に刺激的な企画がいくつもあった。
それが本オープン後は、狭い意味での「写真」を並べただけのフツーの企画が多くなって、冒険心が薄れてしまった感じだった。
だからこの企画は何はともあれ歓迎しておきたい。
ダンスの方ではなく、写真にこだわる立場での意見ね。

で、さて、この企画に合わせて、美術館入口にあるショップNADiff×10で、
コンテンポラリーダンスの類を扱ったTH(No.18・21・22・24)をフェア販売します。
(ひびきみか「かがみのとびら」も)
THは今回のために作ったオビ付。
ぜひお立ち寄りください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »