「世界」ジャ・ジャンクー
ジャ・ジャンクー監督のは実はまだ見たことがなく、
ビデオで「青の稲妻」とか見てから……と思っていたのだが、なかなか時間がなく、
水曜1000円均一しかも祝日という誘惑に負けて、とりあえず「世界」を見た。
世界各地の著名な建築物のミニチュアを集めたテーマパークが舞台、ということで
久々に見たい映画が出てきた、と思っていたのだが、別にテーマパークが好きなわけじゃない。
だいたいディズニーランド行ったことないし。
ミニチュアのピラミッドとか見て何が楽しいのだろう、というのが正直なところなのだが
そうしたイビツな世界で働く少年少女たちの群像ということで興味を持ったわけだ。
メインで使われているスチルは派手な踊り子の衣装を付けた少女の姿だが、
その少女がそうした格好で派手に舞い踊るのは冒頭の部分くらいで、
テーマパークの華やかな部分は、後半になるとほとんど姿を消す。
どっかの工場での話にしてもおかしくはない。
派手な姿をしていた少女が、衣装を脱ぎ化粧を落とすと、本当に地味な華のない顔になるのも
テーマパークの華やかさにあえて背を向けるための演出なのだろう。
服装も実に地味目なのが選ばれている。
テーマパークという限られた舞台での人間関係オンリーで、しかもそこにいるだけで世界一周ができてしまう
というのは、「世界」に出ていきたかったのに「世界」というテーマパークに閉じ込められている、
という意味では皮肉がきいているが、だがそれでも、そんなに閉塞感があるわけではない。
みながそこから逃げだそうともがいているわけではない。
むしろ、そこから出ていくことを知らないこと、出ていく気にさせないことが
テーマパークという構造の特殊性なのかもしれないし、
ミニチュアのピラミッドを前にして、
本当のピラミッドと対峙したような気分になってしまえる現実との距離感が
監督には、若者を描く上でいい塩梅だったのだろう。携帯メールの描写も含めて。
ジャ・ジャンクーはそれを肯定も否定もせずに静謐に描き出す。
冒頭の派手なシーンが続けばもっと楽しい映画になったろうに、とは思うけど、
そこに背を向けたところが私はよいと思うよ。
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