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2005.12.25

桑原弘明・石内都・今村源・ナナオヒシャク

イヴの銀座をふらりと。人多すぎ。

■桑原弘明展ーSCOPEー@スパンアートギャラリー

手のひらに十分乗ってしまう小さな箱。
レンズの付いた覗き穴があり、その他にもいくつか丸い穴が空いている。
必要なのはひとつのペンライト。
穴を覗き、他の穴からペンライトを当ててもらうと、なんて不思議。
緻密に作られた部屋が、そこにあらわれる。
それはもう、ミリ単位以下の細かな造形であり、それが実にリアルで遠近感もある。
とても箱の中に作られたちっぽけな世界だとは思えない。

違う穴からライトを当てると、朝の光が夕陽になったり、夜空があらわれたり……
同じ部屋でも違った表情を見せてくれる。
タルコフスキーの「ノスタルジア」の映画のシーンを再現した作品などは、
ライトを当てる場所によって違う部屋が浮かび上がる。

「不思議の国のアリス」をモチーフにしたものもあるが
まさにアリスのように、身体を小さくさせてミクロの世界に潜り込んでしまったかのような不思議な感覚で、
なによりも、ライトのあてる位置によってシーンが変わるのが、とても面白い。
12/24まででした。

■ナナオヒシャク個展@PLATFORM STUDIO

銀座に来たんでついでなんで、と思って、あの古い奥野ビルをちょっと覗くと、
人形作家さんの個展を見つけ、ふらりと立ち寄る。
ギャラリーの中央に、憂いの表情を浮かべた人形が、すっくりと立つ。
壁に飾られた古びた風情のドローイングも引き込まれる。
過去の記憶が降り積もり、その中から奇跡でも芽生えそうなインスタレーション。
これも24日まででした。

■life art/'05〜今村源@資生堂ギャラリー

ギャラリーの空間を埋め尽くす白いアルミのパイプ。
多角形状に組み合わされ(増殖する泡をイメージしているという)、天井までも広がる。
その迷宮の中を観る者は彷徨うが、その白い風景の中に、茎の根が人間の身体になった緑の葉が垂れ、
そのコントラストが鮮やかだ。
しかしパイプに触れないよう慎重に迷宮を進んで葉を下から見上げたときにまた別の驚きが。
葉の裏側は紅く塗られ、空間が白いだけに、その色はインパクトを持って飛び込んでくるのだ。
25日まで。life art/'05の個展シリーズは、3月まで続く。

■永遠なる薔薇——石内都の写真と共に@ハウス オブ シセイドウ

身体のシワのひとつひとつまで克明に写真として写し出す石内都。
花の写真も同様。
しかも身体の美というよりも、そこに刻まれた年輪に着目してきただけあって、
花を撮っても単なる美しさよりも、そこに堆積された時間の重み、豊かさ、そして朽ちゆく宿命に
目が向けられているように思う。
大判の写真が、その細部の緻密さの迫力で見る者を圧倒する一方で、小さめの写真は低い足元に飾られ、
それは目との距離があるだけに、おのずと細部よりも写真全体の色合い・造形が印象に残る。
その展示方法も面白かった。
これは1月29日までやってます。

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2005.12.18

横トリ

東京都現代美術館であったイサム・ノグチ展は、
最終日の夕方にのこのこ出かけていったのだが、あまりの行列に
並ぶのが好きではない私はすぐにあきらめて引き返した。
横浜トリエンナーレは、少し学習して(?)最終日前日にようやく足を運びました。
風が強い!寒い!
でもまぁ、いろいろ楽しんで来ましたよ。

サブタイトルは「日常からの跳躍」というが、それは「日常」がまず出発点になっているということ。
それゆえ全体的に先鋭的・前衛的なものが少ない(まぁ、ぬるいというか……)のが今回の傾向。
参加型のものが多く、まぁ、どうかなぁというのもあるが、
でも作品個々と言うよりも、全体の雰囲気が、ある意味アートなのかなぁ。
そのなかでも印象的だったのは、やはり高嶺格の作品か。
行列嫌いの私が40分も我慢して並んだかいはあった。
寒風に吹かれながら観た、身体表現サークルやグラインダーマンなど、パフォーマンスも面白かったよ。

キュレーターマンのコミック「マートサーカス」が展示スペースで半額だったので
割引に弱い私は迷わず購入。
5巻箱入り、横トリのパロディナンセンスマンガ(たぶん)。
これから読みます。

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2005.12.11

横須賀功光&写真新世紀@東京都写真美術館

一昨年他界した横須賀功光。「功光」と書いて「のりあき」と読むそうだが、「功=しるし」としての「光」と誤読すれば、写真家としてよくできた名前である。だが横須賀は、光の中に何を浮き彫りにしたかというと、「闇」だった、とは言えないか。
彼の写真において被写体は、闇や色彩が奏でる抽象的な形象に還元させられる。
本来の身体の特質は、時に闇に剥ぎ取られ時に闇に融解されて、他にはない眩暈を誘う美を奏でる。
最も印象的だったのは、やはり山口小夜子を撮ったものだろうか。
とりわけ山海塾とともに撮られたシリーズは、白塗りの山海塾の面々は、まるで小夜子を、闇というか、地中=地面に封じ込めようとするかのような無言のエネルギーで包み込み、そこに感じられる闇の深さに長い間見入ってしまう。

だが、会場の構成としてはどうなのだろう。
順路を示さず、林のように林立したパネルの数々は、面白い試みだが、なんか見る側の注意力を散漫にさせるような気がした。
床がミシミシいうのも気になったしなぁ。
黒を基調とした展示室の雰囲気自体は悪くはないのだが。

で、3階にあがれば、おなじみ「写真新世紀」。
2004年準グランプリの川村素代の作品は、幼い少女が死んだように横たわる写真が続き、昨今の社会状況からするとぞっとさせられる部分もあるのだが、作者の意図はもちろん全然違うところにある。
川村は、これらは“自分と家族の「間」を映像化したもの”だと言うが、死体のような少女によって、表面的な繕いが消えた一瞬がひとつの絵として、無気味な力でもって迫ってくる。その一瞬を一瞬で終わらせないインパクトがそこから放たれる。
一方、今年のグランプリの小澤亜希子は、30歳の3人の女性の日常を捕らえた、巧みな組み写真。
ひとつの時間の流れの中で、彼女たちはそれぞれの日常を過ごし、そしてしばしばふいにその日常と日常が重なり合う。
少々あざとさは感じるが、物語性のあるユニークな作品だ。
あと印象に残ったのは、細かい風景写真をホックニーばりに組み合わせて、「東京」「大阪」などの都市の俯瞰マップにしてしまった西野壮平とか。
都市のところどころ(建物等)が肥大化されており、都市の抽象化されたイメージを具体として甦らせているようで面白い。

写真とは、ある意味、現実のある部分を赤裸々にするために、現実の一瞬一瞬を切り取る作業である。
かつては「決定的瞬間」といって、たった一枚の写真で時代が代表されたこともあった。
しかし今回の優秀賞や佳作受賞者の多くは、何十点もの作品を束ねたシリーズものであり、何十点何百点じゃなくて、数枚の写真でアッと言わせるような写真はもう撮れないのかなぁ、と、会場を巡りながらちょっと思った。
形象としての写真の美学は、もうやり尽くされてしまったということなのだろうか。
まぁだから、横須賀功光も、抽象にも通じる形象の解体に向かったのだろうけど。
(その点、色彩で惹き付ける蜷川実花は非常に特異な成功者である)

横須賀功光の写真魔術「光と鬼」は18日(日)まで。写真新世紀は11日(日)まで。
東京恵比寿・東京都写真美術館。

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2005.12.09

「HEART of GOLD—百年の孤独」パパ・タラフマラ

(これから観る人は読まないように)

パパタラの初見はそんなに早くなくて、たしか新宿のスペースゼロでの「パレード」の再演だったかと思う。
それは衝撃的だった!
意味のない声を発することはあっても、セリフはなし。演劇でもダンスでもないパフォーマンス。そして魅惑的なオブジェたち。
だけどそれでいて物語性を感じさせるし、太古から現在、そして未来への時間の流れを思わせ、非常にスケールの大きな宇宙に解き放たれたような気分にさせる。
それを凡百の言葉に頼らず、凡百の動きに囚われず、思いがけない動きをして思いがけない形に変容していくオブジェとともに描き出すのだ。まさにそれは、ある意味魔術。

そのパパタラが、ラテンアメリカ文学の最高峰、魔術的リアリズムの傑作、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を舞台化するという。
しかも主宰の小池博史は、「百年の孤独」をやるためにパパタラを作ったとさえ明言している。
これを期待せずに見ろというのは、無理だというものだ。

しかしだが、どうしてしまったんだろう。
なんでここまで言葉に寄りかかる必要があったのか。
セリフが多いだけじゃない、ご丁寧に舞台の背後に次々と言葉が映し出されたりする。
フツーの演劇かフツーのミュージカルか、そんな感じで、パパタラ独特の間合い——目に見えないけれども舞台空間に満ちているエネルギーのようなもの——を感じられるシーンが少ない。
ストーリーの説明をするかのようなセリフ、特にミュージカル的なシーンは、どうなんだろう、つまらない面白いとかそういう問題ではなく、「パレード」の世界観があれば、そのようなものに頼らなくても、「百年の孤独」的な世界は十分に作り出せたのではないか、という思いがあって、その点で非常に残念だった。
「百年の孤独」も、長い時間のスパンの中に人間の人生を魔術的なガジェットとともに塗り込めた作品であり、その点で「パレード」的な手法は十分に有効だと思うのだが。
ちょっと筋を追いそれを観客に伝えようとすることを意識しすぎたか……?

それでも後半には、「ああ、これだよ」というシーンが、いくつかあった。
もちろんそれを求めることは、ひとつの表現の殻の中に閉じこもってしまうことかもしれないが、パパタラの集大成なら、それでもよかったのではないか、というふうにも思う。

ただ以上はあくまでも個人的な印象なので、舞台としておすすめでないとかいうことでは決してない。
当然、面白く観た人もいただろう。

だが、うーん、パパタラには、言葉のない世界=言葉以前の本質的な身体感覚の部分でがんばって欲しいんだけどなぁ、と、ちょっと思ったのです。

世田谷パブリックシアター、11日まで。

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2005.12.05

雑感;コウソクEXHIBITION

フローリングと和室がつながった展示スペース。
和室に蚊帳(かや)が吊ってあって、そのなかに女の子(ホンモノ)が閉じ込められている。
閉じ込められている、といっても、所詮は蚊帳だ。
抜け出そうと思えば、簡単に逃げられるだろう。
そんな柔らかな拘束空間。
見る側にとっても、中の少女に手が届きそうで、届かない。
触れられそうで触れることができない。
蚊帳は頑なな拒絶ではなく、目の前にあるけれども手が届かない、
ある意味、神聖な存在を思い描かせる。

そうした蚊帳の距離感が非常に巧みに表現されたのが、
昨日のモリーン・フリーヒルと大澤史郎によるパフォーマンスだった。
かすかなスポットライトの中、真っ白なドレスに、
襟元から長く鮮烈な赤いリボンを下げて蚊帳の中に姿を現すフリーヒルは
まさに神聖さに浮き立って見えた。
蚊帳は決してフリーヒルを拘束するものではない。
むしろ胎児を包み込んで保護する胞衣(えな)のように見える。
なるほど、蚊帳を介する距離感とはそれだったか、と、ちょっと納得する。
パフォーマンスの前半は、フリーヒルが蚊帳を出て、
背後のふすまの中に浮き上がるように消えていくところで終わった。
その無重力感が、まさに人間を超越した存在を思い起こさせる。

後半は、生命力あふれるリズムカルなシーンがあって、そしてまた蚊帳の中に戻っていく。
大澤史郎のヴァイオリンとも相俟って、情緒豊かで神秘的なパフォーマンスだった。

さて、展示において蚊帳の中に入る女の子はひとりだけではない。
人によって人形のようであり、猫のようであり、見せる表情はさまざまで、そのあたりも面白い。
ぼんやりとした灯りの中、蚊帳の中であえて囚われの状況下に身を置く少女たち——
彼女たちはそこで静かに物思いにふけり、本をめくったり、赤いリボンを結わえたり……
ワンドリンク付なので、椅子に座って、しばしのんびりその様子を観察するのもいいだろう。
その世界にだんだん引き込まれていくのではなかろうか……

展示は11日(日)まで。(連日13:00〜)
本日はコウソク+大澤史郎(+女の子)のパフォーマンスあり。
6(火)〜9(金)は20:00〜「沖の未明」の上映もあり。パフォーマンス好きな方にはおすすめです!
10日(土)はAbe"M"ARIAのパフォーマンス。また過激に暴れるのでしょう。
11日(日)はエンディングパフォーマンス。神秘のトビラが閉じられます。

展示・イベントの詳細は[こちら]とか[こちら]

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2005.12.01

「沖の未明」

小川未明の童話「港に着いた黒んぼ」を元にした映画作品。
監督は鈴木志帆。主演は野和田恵里花、坂本弘道。

ストーリーらしきものはいちおうある。
ストリートパフォーマンスをしている姉と盲目の弟。
ふたりは互いの存在なくしては考えられなかったが、
ある日、金持ちからの誘いがあって、姉はその元へ出かけてしまう……。

しかし、ストーリーに感動する映画ではないことは確かだろう。
見どころはやはり、野和田恵里花のダンスと、坂本弘道のチェロ演奏にある。
その、熱情的な踊りと演奏。
そこには、みすぼらしさも貧乏のビの字も感じられず、
それは、ふたりのパフォーマンスをストーリー的な整合性の枠にはめず、
できるだけありのままに映し出すことを選択したためにちがいない。

観る者が体感するのは、非常にハッピーなコラボレーションだ。
ストーリー的には暗めのオチなのに、エンドロールの間も鳴り響くチェロの音に
踊り出したくなってしまうのは、コラボの幸福感に包み込まれるからだろう。

あえて言うなら、変に凝ってカット割りするよりも、据えたカメラで、
もっとじっくり野和田のダンスを見せる部分があってもよかったのではないかと、ちょっと思う。
だけど、うん、ハッピーになれるよ。

観ることのできる機会はなかなかないが、
タナトス6のコウソクEXHIBITIONでレイトショウ上映される。
展覧会の入場料500円のみでOKなので、ぜひお見逃しなく!
レンタルビデオの値段に較べても、500円はかなりおトクです!!
(もちろん、この映画をレンタルで観ることはできません)

12/6(火)〜9(金)連日上映は20:00〜
詳しくは、[こちら]とか[こちら]

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