« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »

2006.01.30

ストリップ、児嶋サコ

kennyストリップは斜陽である。劇場も激減しているという。
まぁそれもそのはずだろう……社会環境も価値観も大きく変わっている。
そのストリップを見たいと思ったのは、堀江ケニー氏が惚れ込んで、大阪などにもそのステージを追っかけ、ぜひ写真を撮ってみたいと思わせたストリッパーの舞台があると教えられたからだった。
そんなにすごいストリップなら見てみたいと思った。

コンテンポラリー・ダンスや舞踏などでも裸を見せることは珍しくはない。
同じダンスでもこれらとストリップが違うのは、もちろん性的な刺激を喚起することを一番の目的にしているかどうか、というところだろうが、ストリップも単に全裸で股を開けばいい、というものではない。
動きの美はどうあれ、身体そのものの美を見せるという点では、ストリップの方が勝っているだろう。
彫刻や絵画では身体美の追究はごくありふれたことなのに、コンテンポラリー・ダンスにおいてはそれが忌むべきことのように扱われているのは、なぜなんだろうとも思う。

で、すごいと言うんだから、ダンスがすごいのかと勝手に思っていた。
でも、違った。
大音量で響く椎名林檎。
そこに豪華絢爛な和装で彼女は登場する(!)
それだけでその内容・雰囲気を想像できてしまう人もいるかもしれないが、そう、そこから始まったのはいわゆるストリップダンスとは違う。
身体で見せると言うよりは、身体の表情で見せる。
ただ踊るのではなく、どちらかというと陰翳に富む物語性が演出される。
場末で叙情的、湿った感じはあるが泥臭くはない。
舞台の空気は、足に巻かれたロープで身体を半分吊って秘所を激しくまさぐるあたりで最高潮に濃密になるが、うーんその情景は、いやらしいとかそういうのを通り越している。
確かにこれは、ケニー氏の言う通り、ストリップを見るのとは違うレベルで引き込まれるよ。
あるHPを見れば、彼女は「異端」で「カルト的な人気」だとある。
ケニー氏によると、地方で踊るときは、他の子のようにちゃんとアイドル的な明るい舞台も見せたりするらしいのだが。

舞台の後にはポラロイド撮影の時間があって、観客は希望すれば、金を払って彼女らにポーズをとらせ、ポラで撮影することができる。
これもケニー氏から聞いたことだが、そのポラ代はすべて劇場に入ることになっていて、彼女らに回ってくるわけではないらしい。
つまり、ポラの希望者が多いダンサーが劇場にとっていいダンサーであって、極端な話、舞台の内容は問題ではないという。
逆に言えば、エロさえあれば、舞台内容は自由に設定できるということ。
そういう環境から前衛的な表現が出てくるという現象は、たとえばロマンポルノやエロマンガであったことだが、似たようなこともストリップに関して言えるのだろうか……だが、衣装や交通費なども自前だったりして、なかなかそんな呑気な状況でもないらしいが……。

堀江ケニー氏は、彼女、浜崎みうを撮った写真をまとめ、個展を開く。
3月5日(日)〜11日(土)、渋谷のギャラリーコンシールにて(上の写真はそのDM)。
「廃墟憂愁」に掲載した写真とは違い、私生活も交えたドキュメンタリー的なものになるという。
彼女の内面に流れるものがどう写し出されているか楽しみだ。
(なおこのギャラリーの入っているビルは、元はストリップ劇場だった——前の個展もこの場所だったので、今回のために選んだわけではないらしいが)

——
さて話は変わって、渋谷のアップリンク・ファクトリーでは、児嶋サコ展。
「Afternoon of Atelier -マリの部屋-」と題され、手塚眞の映画「ブラックキス」で使われた児嶋流の痛カワイイぬいぐるみなどを小部屋のような空間を作って配置したインスタレーション。
針刺さっていたり身体がもげていたり変なのが生えていたりと相変わらずの毒々しさだが、この部屋が気持ちよく思ってしまった私はいったい何者なんだろう(笑。
自己破壊の願望を自分に代わって実現してくれているからか……とかも思ったが、うーん本当かなぁ。
児島の作品は瞳がとりわけ強調されるが、それは何かを射るような目ではない。
つぶらで、純真そうで、恐がりで奥ゆかしく無防備に見えるその瞳は、やはりサディスティックな欲望を喚起する。
ということは、この部屋で満たされるのはむしろ、他者への破壊願望か……。
実はそうして裸にされるのは、観客の側である。

もうひとつの興味は、そうしたアンビヴァレンツなその児嶋の毒を、手塚の映画はどう生かしているのか、というところだね(映画は未見)。
展示は2/8まで。
映画は渋谷Q-AXなどで上映中。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.01.27

メモメモ

ああもう、目が回ります。下請け仕事に圧迫されていますが、THもやらなきゃね。
でもこれから、面白そうな展覧会等がいろいろ始まります。

銀座・スパンアートギャラリー/村田兼一写真展(2/6月〜11土)
   →SMスナイパー(だったか?)とかで撮っている、ロリ&フェチ系の少女写真

銀座・ヴァニラ画廊/冨崎NORI作品展(2/6月〜18土)
   →球体関節人形の少女をモチーフにしたリアルな絵。

渋谷・アップリンクファクトリー/児嶋サコ「Afternoon of Atelier—マリの部屋—」(1/28土〜2/8水)
   →手塚眞の映画「ブラックキス」のために制作した作品群や新作。エロ・痛・ぬいぐるみ。

日暮里・HIGURE17-15cas/三浦悦子「義躰廃工場」(2/3金〜19日)
   →義躰人形。なぜここまで。

大阪淀屋橋・Oギャラリーeyes/杉浦隆夫展「ろくろは回して遊ぶもの」(2/20月〜3/4土)
   →行きたいけど大阪だ……。うー。観客を危険に陥れる体験型(?)アート。

京橋のフィルムセンターで「ドイツ・オーストリア映画名作選」開催中!
表現主義な無声映画見たいが、スケジュールをどう調整しよう……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.01.22

「DOMANI・明日」展2006@損保ジャパン

1月から3月にかけては、例年、「DOMANI・明日」展、「損保ジャパン美術財団選抜奨励展」、「MOTアニュアル」(東京都現代美術館)、「VOCA」展(上野の森美術館)といった、今後期待される作家を紹介する展覧会が目白押しで、楽しみにしている。
で、まずは「DOMANI・明日」展。
昨年は写真作品がいくつかあったが、今年はなし。
逆に、目に付いたのが、 中ザワヒデキや土岐謙次などのデジタル系・理数系ともいえる作品か。
中山ダイスケも、羅列された数字の色味の違いで造形を浮かび上がらせ、デジタルとアナログの中間的な作品だった。

でもやはり惹かれるのはプリミティヴなものに愛着を示す方だなぁ。
楡木令子は、巨大なまゆの脱け殻のようなものを林立させ、そこに風景写真をスライドで次々に映し出す。
塩野麻理のは、お土産屋に売っている民俗玩具のような作品だが、完成された造形を拒否するような歪さが残されて、素朴だけど奇妙な感触。
前田哲明も、紙のようにしなやかな鉄板の素材感がいい。
笑わせてくれたのは棚田康司で、白目をむいた奇妙な木の少年少女の彫刻。
荒っぽく力強い彫りだが、奇妙に首をねじ曲げて下半身はなぜかタイツだったり、
少女の黒いパンツには「S」サイズのタグがついていたり……。

3/1まで、損保ジャパン東郷青児美術館

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006.01.21

岡本太郎+植田正治@東京都写真美術館

東京都写真美術館で岡本太郎と植田正治の写真展が同時開催されている。
岡本太郎の写真は最近再評価の声高く、ここ数年それをクローズアップした展覧会もいくつかあったような気がする。
植田正治は言わずと知れた日本写真界のパイオニアのひとり。
砂丘のシリーズが有名ですね。

で、このふたつを続けて見ると、ある意味写真表現のあり方が浮き彫りになってきて面白い。
岡本太郎の写真が評価されるのは、おおむね、ストレートに、実直に被写体と向き合おうとする視線だろう。
「岡本太郎の視線」という展覧会のタイトルが示しているように、
岡本太郎が何をどう見たか、が観る者の興味をひくのであって、非常に素直に、無垢に被写体と対峙している岡本の視線の強烈さに、観る者は心震わされるのである。
つまりそこには、「岡本の視線」はあるが「岡本の表現」はない。
その意味で岡本の写真は、彼の芸術表現の本流ではなく、余技であった、ということもできるのだが、いやたぶん、彼にとって写真は、現実と対峙する手段のひとつに過ぎないのであって、そのステージにおいて「表現」を極めていこうという意思はなかった。
それゆえに導き出される力強さというものを、岡本の視線は持っていたのだ。

一方、植田正治は「表現」を追究する。
植田は写真家であるから、たぶん、写真が現実を写さないことを知っている。
彼はそのトリックを用いて現実を異化し、非現実的な世界を作り上げて社会を表象しようとした。
砂丘という舞台は、非現実感のなかに何かをシンボライズするのに格好の舞台だった。
そこで展開されるのは現実にはありえない風景だが、それを演出し「表現」することが、植田の「写真」ではなかったか。
カラーの「静物」シリーズも、演出された「表現」に囚われていた植田の姿を垣間見させる。
植田の場合は写真家として、岡本と違い、まず「写真ありき」だった。

植田正治の作品は、個人的には正直言って、あまり好きではない。
意図的すぎるし、やはり砂丘シリーズとかは、いまの時代からすると古臭い。
対して岡本の写真がいまなお躍動感をたたえているのは皮肉というかなんというか。
岡本の持っていた視線はそれだけスゴかったということか。

岡本太郎は2/18まで、植田正治は2/5まで。
セットでチケットを買うと200円引きになるので、ぜひ見比べてみて下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.01.17

「廃墟憂愁発行記念週間」終了;次はアヴァンギャルド

タナトス6にておこなわれた「廃墟憂愁発行記念週間」は日曜日にて終了いたしました。
多くの方にご来場いただきありがとうございました。

また、作場さん、中嶋さん、柳下さん、上映の企画をご協力いただいたオムロの西田さんをはじめ
ご協力いただいた方に感謝申し上げます。
反省するところも多々ありましたが、
今後も出版と連動した企画をおこなってまいりたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

で、次のトーキングヘッズ叢書(TH Series)は20世紀初頭のアヴァンギャルド特集です。
鋭意編集中。
時代の熱に浮かされたおバカな作品をたくさんレポートできればと思っています。
本とともに関連イベントも乞うご期待。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.01.06

中嶋莞爾「はがね」「箱」上映+トーク(柳下毅一郎・作場知生)


TH No.25「廃墟憂愁」で取り上げた中嶋莞爾監督の作品「はがね」「箱-The BOX-」上映の日がいよいよ迫ってまいりました。
(@高田馬場・タナトス6)
ビデオ化・DVD化もされておらず、めったに見ることのできない作品ですので、
これはいい機会になるのではないかと思っております。
タルコフスキーやアンゲロプロスなども彷彿とさせる映像美学に酔いしれて下さい。

上映と同時にトークもおこないます。
1/8は、特殊翻訳家・映画評論家の柳下毅一郎氏、
1/15は、こちらも「廃墟憂愁」でインタビューさせていただきました作場知生氏が
ゲストとして登場します。

上映はこの2日間、「はがね」「箱-The BOX-」とも各1回限りですので、お見逃しなく!
今後注目の監督ですので(理由は後日!)ぜひ要チェックです!!

予約はまだ大丈夫な模様。
詳細は、[http://thanatos6.jugem.jp/?cid=8]まで!!
[中嶋莞爾HPはこちら]

■作場知生展も好評開催中です!
 明日1/7と1/15は作家も来場します。
 絵やコラージュ作品を見て、実際にゲーム「ガラージュ」を触って、
 作場さんともお話しして、楽しんで下さい。
 「ガラージュ」もTH No.25「廃墟憂愁」で取り上げましたが、
 そんじょそこらのゲームとは違うディープさ、陶酔感に浸れます。
 もう私家版がネット通販されているだけですが、熱狂的ファンはいまだ多し。
 ゲームそのものだけでなく、パッケージの凝り方もイカしてます。
 会場でもちろん、お求めいただけますので、ぜひどうぞ!
 [展示詳細]
 [作場知生HPはこちら][ガラージュ私家版HP][mixiガラージュ コミュ]
20051211_65504

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.01.01

正月から「人形霊」

B000BQ5L34あけましておめでとうございます。
といっても新年だからなにをどうこうするわけではなく。
近所の寺の除夜の鐘を聞きながら、韓国映画「人形霊」のビデオを見てました。

まぁ、人形が怨念を持って人を襲う、というよくある話だが、
この人形が球体関節人形なのである。
古い日本人形とかならともかく、ボークスのドルフィーみたいなのがズラリと並んでいるのである。
コワイ……ってゆーよりも、カワイイぞ、これは。
ボークスは韓国でもイベントとかしているので、その手の文化が伝わっているのは確かだろうし
最初登場する人形は和服なので、明らかに日本文化を引用して作られている。
でもね、球体関節人形といったら、日本の作家さんって、もっとグロくてフェチなものを作っているじゃない。
なのになぜことごとくドルフィー風?
ホラーとしてそのあたりから間違っているというか、人形の側に感情移入できてしまう人形ホラーというのも珍しい。
日本じゃできない——いや日本でもそういう発想出てきてほしいというか、出てきてしかるべきだと思うが……うーん、こういうのって日本のマスのメディアにはまだまだ乗らない。
そういうのを利用するうまさは、やはり韓国の方が上ということか。

脚本はたいしたことない。
もっとどうにかしろよと思うが、それだけにこの映画が持つ人形というアイテムへの偏愛が強く感じられたりする。
なにしろ製作費の5分の1は人形に費やされたらしいのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »