朝倉景龍@ヴァニラ画廊
わざわざプロフィールに「現在、19歳」とある。
なのに絵の腕はたいしたものである。
だがまぁ、たとえ絵が上手くても、そういう人はいるだろうし、そのことで驚くには値しない。
たとえば[こちら]のページの右下の絵を見てみれば——ちなみに写真ではなく、鉛筆画だよこれは——ペニスのついた帽子のようなものをかぶっていて、どう考えても絶対変なシチュエーションなのに、その人物はただじっと平然としている。
ペニス帽をファッションで気取っているなら、楽しそうな表情をしてもよさそうだし、いじめにあっているなら泣き出しそうな表情を浮かべてもよさそうな場面なのに、ただひたすら前を見つめているのだ。
しかもその表情は、人形のような無垢な無表情でもない。
むしろ、じっと何かを堪え忍んで無感動の境地に無理矢理自分を閉じ込めているかのような表情である。
それは、左下の血塗れの女性像についても同じだ。
このただならぬ雰囲気はなんなのだろう。
いかにも奇をてらったシチュエーションにも見えるが、でも、媚びは感じられない。
描かれた人物があまりにもマジメにこちらを見つめているので、プッと笑い飛ばすことも、グロテスクだからといって目を背けることも許されない、なんか、そんな緊張感を強いる。
左上の絵は、展示作の中では珍しく怯えたような表情を見せているが、でも、眼球をえぐられていながら、表情からうかがえるのは身体的な痛みよりも精神的な恐怖でしかない。
作家の朝倉氏は、こうした痛みに自分自身は弱いから、こうなりたいという願望を絵に投影しているのだと言った。
なるほど、だから身体的な痛みは排除されているのかもしれない。
でも、それだからこそ、おぞましくもある。
またそれゆえ、単なるSM的なシチュエーションに回収されない何かを湛えているとも言える。
[先のページ]の左下の絵の血しぶきなどは花のように美しい。
とても魅力的だと思う。
(しかも実際は等身大以上のサイズがある)
逆に、まだ手探りかな、という絵もないではないが、それも力づくで(絵を切ったりすることもいとわない)自分のものにしようとできるのは若さゆえか。
だがつまらない常識を覚えずにどんどん冒険していける方がいい。
期間中、作家は画廊内で公開制作もおこなっている。
4/15まで。
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