2008.02.11

マキメの否ダンス-悦ダンス

久々に見たダンス。だが久々に面白いものを見せてもらった気が。
万城目純のソロダンス「solos」。

小さなスペースにピアノ一台と椅子ひとつ。
しかしそれらとダンスはほとんど関係なくて、セットは何もないに等しい。
何もない空間を、最初は力なく、円を描くようにトボトボ歩き続ける。

そこにやがて身振り手振りが加わってくるが、それはとてもじゃないが美しいダンスからはほど遠い。
そう、このダンスは、ダンスというものを徹底的に着崩したアンチダンス…というか、ダンスを喪失したダンサーの醜悪というものを前面に押し出したダンスなのだ。

顔を歪ませたりにやついたりハァハァ息をあがらせたりと、ダンサーとしてあるまじきことも客に見せつける。
てゆーか、セットはないに等しいと書いたが、大切なセットがひとつあった。
舞台の正面に据えられた一台のビデオカメラだ。

万城目はときにカメラ目線を送り、ときにカメラに向かってポーズをする。
フリルの付いた衣装とともに、自惚れを表象するその仕掛けが、ダンスをますます醜悪なものにする。

だがしかし、だからといってこの作品自体が醜悪なわけではない。
醜悪でありながら、それでも必死に身体を動かし続けるダンサーの姿の背後に、身体を動かすことの悦びが立ち上がってくるのだ。

拍手。

2/9、雪の四ッ谷「コア石響」にて

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2005.12.09

「HEART of GOLD—百年の孤独」パパ・タラフマラ

(これから観る人は読まないように)

パパタラの初見はそんなに早くなくて、たしか新宿のスペースゼロでの「パレード」の再演だったかと思う。
それは衝撃的だった!
意味のない声を発することはあっても、セリフはなし。演劇でもダンスでもないパフォーマンス。そして魅惑的なオブジェたち。
だけどそれでいて物語性を感じさせるし、太古から現在、そして未来への時間の流れを思わせ、非常にスケールの大きな宇宙に解き放たれたような気分にさせる。
それを凡百の言葉に頼らず、凡百の動きに囚われず、思いがけない動きをして思いがけない形に変容していくオブジェとともに描き出すのだ。まさにそれは、ある意味魔術。

そのパパタラが、ラテンアメリカ文学の最高峰、魔術的リアリズムの傑作、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を舞台化するという。
しかも主宰の小池博史は、「百年の孤独」をやるためにパパタラを作ったとさえ明言している。
これを期待せずに見ろというのは、無理だというものだ。

しかしだが、どうしてしまったんだろう。
なんでここまで言葉に寄りかかる必要があったのか。
セリフが多いだけじゃない、ご丁寧に舞台の背後に次々と言葉が映し出されたりする。
フツーの演劇かフツーのミュージカルか、そんな感じで、パパタラ独特の間合い——目に見えないけれども舞台空間に満ちているエネルギーのようなもの——を感じられるシーンが少ない。
ストーリーの説明をするかのようなセリフ、特にミュージカル的なシーンは、どうなんだろう、つまらない面白いとかそういう問題ではなく、「パレード」の世界観があれば、そのようなものに頼らなくても、「百年の孤独」的な世界は十分に作り出せたのではないか、という思いがあって、その点で非常に残念だった。
「百年の孤独」も、長い時間のスパンの中に人間の人生を魔術的なガジェットとともに塗り込めた作品であり、その点で「パレード」的な手法は十分に有効だと思うのだが。
ちょっと筋を追いそれを観客に伝えようとすることを意識しすぎたか……?

それでも後半には、「ああ、これだよ」というシーンが、いくつかあった。
もちろんそれを求めることは、ひとつの表現の殻の中に閉じこもってしまうことかもしれないが、パパタラの集大成なら、それでもよかったのではないか、というふうにも思う。

ただ以上はあくまでも個人的な印象なので、舞台としておすすめでないとかいうことでは決してない。
当然、面白く観た人もいただろう。

だが、うーん、パパタラには、言葉のない世界=言葉以前の本質的な身体感覚の部分でがんばって欲しいんだけどなぁ、と、ちょっと思ったのです。

世田谷パブリックシアター、11日まで。

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2005.11.18

囚われの少女、妖しきEXHIBITION

告知です。妖しいです。みなさまぜひおいで下さい!!!


10792512(コウソク)EXHIBITION

200512/2(金)→11(日)

open 13:00 close 20:00※イベント時には変更あり
入場料 500 yen
at タナトス6
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そこに見いだすのは、
苦痛か、安息か。

「人を閉じ込める部屋」をテーマに作品を作り出してきた 10792512(コウソク)。
今度は、タナトス6であらたなインスタレーションを繰り広げる。
孔雀と牡丹の磨りガラスに淡くきらめくシャンデリア、そしてそれに続く和室が妖美な空間に生まれ変わる。
静かに息をひそめる囚われの少女。
あなたはそこに、いったい何を見いだすのか——。
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パフォーマンス、上映会などイベントも多数!!
詳しくは[こちら!]

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2005.08.13

バ  ング  ントby飴屋法水+大友良英+椹木野衣

ameya白白白白い空間。壁に文字文字だけどところどころが欠けている。文字が抜け落ちて白いままになっている。それを読むためには、欠けた文字を自分の頭の中で補わなければならない。文字を探す。合う文字を。そして文章を完成させようとする。
白く均質な空間は遠近感を失わせ過去と未来を失わせ、つまり時間と距離を喪失させる。われわれはまず、過去を捨て社会を捨て、白く濁った何かになる。
12日は、ライブの日。
空間のあちこちに気紛れな奏者が現れ、静かにかすかなノイズを奏でる。アルミホイル。カセットテープ。レコードプレイヤー。かすかな声。電子の震え。麻雀牌のリズム。
すべてはかすかに。過去を捨て社会を捨て、白く濁った何かになった私たちへの葬送曲。混濁をかすかに震わせ目覚めさせる、かすかな本当にかすかなノイズ。
観る者は、ドリンクを片手に奏者の間を彷徨い、時に無表情に押し黙ったまま佇み、もしくは腰掛け、または床に座り、ノイズに耳を傾ける。
彷徨う観る者たちの動きが、まるでこのエントロピー空間を行き交う気紛れで気だるい分子のようにも見える。
白白白白い空間。
入口の脇には証明写真の装置。だけど顔は写らない。顔はボカされ、そこに写っている者が何者なのかわからない。証明にならない証明写真。
そこに写っているのはだれ?
そう、われわれは欠けている。欠けているものを追い求めている。ヘッドホンを付け、壁の文字の、欠けた部分に空いた穴を指で塞ぐと、ノイズが聞こえる。いろいろなノイズ。ふたつの穴を塞げば、ノイズは重なりあう。
そう、欠けたものは、何でもない。意味などない。それはノイズでしかない。欠けたものを求めることにどんな意味があるのか。
むしろ欠けることが、欠けて欠けてやがてすべてが欠けて真っ白になることこそわれわれが追い求めるべきものなのではないか——。
入口の正面には大きな白い箱。その中には、会期中、言葉をなくしてひとり閉じこもっている飴屋法水。
白い空間にひとり。ずっとひとり。
その白い箱には何も文字は書かれない。
すべてが欠けた。すべてが真っ白になった。そして透明な存在になった飴屋法水。
われわれもさて、欠けていくことをヨシとしよう……。
その先に訪れるのはおそらく、真っ白な心の廃墟だ……。

六本木・P-Houseにて。8/21まで。

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2005.08.05

タナトス6オープニング企画

事務所はいまだ引っ越しの真っ最中。
果たしていつ終わるのか不安ですが、
この引っ越しによって、アトリエサードには妖しいイベントスペースができました。
名づけて「タナトス6」。
8/19・20にはお披露目パーティを、
9/3にはオープニング企画として、小林嵯峨ほかが登場するDance Opening Actを催します。
予約等、詳しくは、
http://www.a-third.com/thanatos6/e_index.html
みなさまぜひ足をお運びください。
(というわけで今回は宣伝でした)

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